小夜曲~本と日々の暮らし

私に・・・あったこと、思ったこと、これからのこと。

73 七田眞「右脳で生きるコツ」& 10月の多田野弘語録「人生は常のこれから」

七田メソッドと呼ばれ、
幼児教育を開発されている。
感ずるところ多く、白く読ませていただいた。

★2010 多田野弘語録 「人生の常はこれから」


 「 10月10日は、私が生まれてから丁度100年を迎える日である。
 今日まで自分が百歳まで生きるなど、夢物語のように思っていた。
 昨今、長寿は当たり前になっているが、
 思わぬ人から羨望を交えて称賛を受けた。
 しかし、当人の私は大して嬉しいとは思っていない。
 今月のテーマにもあるように、私の人生の本番はこれからだと思っているからだ。
 キューブラ・ロスも、死は、精神的成長の最終段階であると言っている。


  これまで、百歳を目標に努力して達成したのではないし、
 未だに青年の気分が抜けきれてない。
 では、なぜ人が羨むこの百歳の快挙が生じたのだろうか。
 その一つは、南の戦場の3年間にわたる、
 九死に一生を得た体験によるのではないかと思う。


  それを一言で言うなら、生きていることを喜べるという人生観を
 手中にしたことである。
 同時に、自分の死を受容し、宇宙の摂理と魂の存在に気づいたことが、
 何ものにも代え難い精神的支柱になっている。
 その後の75年間の人生に影響を与えずにはいなかった。


  戦後の生活は不自由を極めたが、戦場に比すれば天国であった。
 その第一は、生命を失く危険が皆無になったことである。
 第2は、戦場では命令一下、死地に突入せねばならなかったが、
 もう誰からも命令される心配がなくなり、自由の天地が与えられたことである。
 平和と自由のありがたさが身に染みたと同時に、
 戦場で不自由を味わいつくしたためだろうか、自由気ままにはなれなかった。
 むしろ、安逸に流れることに不安を覚え、何か緊張感がないと生きる張り合いが
 なくなるように思えた。
 それがあたえられた生命を活かし切る使命感にもつながる、魂の働きなのが分かった。


 気を引き締めるために、先ず、禁煙という負荷を自分に課してみた。
 38歳だった。
 これができないようでは何をやっても駄目だと達観すると、
 我慢することなしに禁煙ができた。
 次には、アラームなしの五時起床と2キロのジョギングを課した。
 意外にも、その快適さに魅せられ93歳まで続いた。
 こうして次々に自らに負荷を課すようになった。
 その代表的なものに、毎年元旦の朝、海での寒中水泳がある。
 44歳から93歳まで49年間毎年行った。
 この爽快な気分は言葉にならず、やった者しか味わえない醍醐味であった。
 またこの日のために、日々の体調に気を配る緊張感は大きな意味を持っていた。


  この年になった今も、緊張を強いられるものがある。
 それがこの語録(エッセイ)である。
 79歳から初めて今日まで21年間、月間「致知」誌の表題について、
 私の考えを吐露してきた。
 そのお陰だろうか、ボケることもなく、今日を迎えられている。
 普通、緊張感はないほうが楽でいいと思うだろうが、むしろ、
 それは私にとっては最良の策になっている。
 人間死ぬまで負荷を背負っている方がいいらしい。


  こうして、自分に負荷を課し続けたことは、心身の成長をもたらすと共に、
 快感すら覚えるようになった。
 人はこれをストイックというが、何といわれようと、この克己に喜びと
 魂の快感は命ある限り止むことはない。
 私の百年の人生は、本を正せば、日々の緊張感で始まっている。
 まさに人生は常にこれからだ。
 一日一日、今の行動が自分の人生を作っているといえるのではないか。」

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