小夜曲~本と日々の暮らし

私に・・・あったこと、思ったこと、これからのこと。

157ドルーレ「作家の家」&多田野弘2101「運命を開く」

図書館のリサイクルでいただいた本。
大きくて分厚い。
作家たちが過ごした部屋を写真入りで紹介している。
ヘミングウエイ、ジャン・コクトー、ヘルマン・ヘッセ・・・20人の作家が
過ごした家。
見ていて、時の彼方へ連れていかれた・・・
不思議な時間を過ごせた・・・

★1月の多田野弘語録「運命を開く」


 「運命とは、人間の意思にかかわりなく、偶然に巡ってくる吉凶禍福のできごとである。
 それをもたらすのは、人知の及ばない大きな力が働いていることを念頭に置かねばならな
 い。


  多くの人は、運命を「決まりきった人生のコース」で、生涯動かすことができないと
 解釈している。
 しかし、運命は宿命のように決まったものではなく、どう受け止め処していくかによって
 変えられる。運命は、天の配剤であるとともに、人間がつくるものである。
 マキャベリーは、「運命は我々の行為を半分支配し、他の半分は我々自身に委ねる」と
 述べている。
 私たちは修養によって運命を限りなく創造し得ると考えられる。


  もし運命が変わらないものなら、代々の聖賢は何もならないことを苦心して学び、
 修行してきたことになる。私たちの素質や能力を活かし、学びと実践によって創造の生活
 をしていくならば、人生の変化は計り知れない。もし運命には指一本逆らえないなら、
 人間は運命に操られるロボットに過ぎず、人間の自由も自主性も失ってしまう。
 故に、あきらめて創造しない人は運命に翻弄されることになる。


  では、運命をどう受け止め、処していけばいいのだろうか。
 運命は常に想定外なので、誰でも不幸や災難に遭うと、「どうして私だけがこんな目に
 合わなければならないのか」と運命を呪うのが常だろう。だが、与えられた運命をまず
 受け容れて、冷静に対処したほうがどれだけか賢明をいえよう。
 運命は、単に素材を与えるだけで、それを私たちの責任においてプラスにもマイナスにも
 できる。
 モンテニューは随想録に、「運命は我らを幸福にも不幸にもしない、ただその材料と種子
 を提供するだけである」と述べている。先ず運命を全て受け容れ、自分の支配下に置くこ
 とによって変化され創れるのだ。


  例え好ましくない運命に出遭っても、避けたいと思う運命ほど貴重な教訓を含んで
 おり、反対に好ましい運命には、失うものが多いのも事実である。
 自分に降りかかった不運を呪う気持ちを捨て、身に起こるすべての出来事には必ず
 意味が含まれていて、自分に必要だから与えられたのだと受け取るならば、人間として
 大きく成長できるのではないか。運命には無意味なもの、無価値なものは何一つないの
 だと確信できれば、挫折も失敗も病気もプラスにできる。


  運命に「いい運命」も「悪い運命」もない。
 人生には「幸運」あるいは「不運」に見えることが次々に起こるが、それを私たちは
 「いい」とか「悪い」とか言っている。
 「人間万事塞翁が馬」の例えのように、幸運の裏には災いの種が潜んでいるし、不運と
 思われる中に幸運の種が隠されているものである。


  誰でも生きている限り、悩んだり躓いたりする、良いこと尽くめなら不自然である。
 物事は揉めごとなしに運ぶことはきわめて稀で、躓きながら発展していくものだといって
 も過言ではない。
 素晴らしい発展には同時に大きな苦しみが伴うものと考え、その苦しみをしっかり引き受
 けることである。この時こそ、苦しみの中に喜びの種が潜んでいるのが分かってくる。


  不運から決して逃げてはならない。逃げれば逃げるほど苦しさが増し、何事も成就
 しないし、成長もあり得ない。「よし引き受けてやる」という気構えができると、不思議
 に、それまでの苦悩が半減すると同時に、問題も解決していくことを、私はたびたび経験
 している。
 人間は常に何らかの問題を抱えていて、成長しようとすれば必ず悩み救沁みにぶつかる。
 それが人生なのだと割り切れば、どんな不運に遭っても引き受けていくことができる。
 神仏が私たちをより強くするため、より素晴らしい人格の持ち主にするために与えてくれ
 た試練であると感謝できるようになる。


  そうなれば、大したものだ。わが身に起こる出来事はすべて必要だと受け取れ、さらに
 励むようになる。どんな出来事にも、無駄なことは何一つない。全てが自分の成長の糧と
 なり、幸運を求め不運を避ける必要がなくなる。大変生意気なことを述べたが、南方の戦
 場で3年間、幾度も死と隣り合わせの運命に遭いながら生き残れた体験から得たことであ
 る。


  運命についての私の法則を箇条書きにしてみた。
  1、運命は天の配剤であり、動かすことは出来ない。
  2、運命はその素材を提供するだけで、いかようにも変えられる。
  3、運が付くか尽きるかは、運命に受け取り方と処し方で決まる。
  4、いかなる運命も感謝して受け取るならば、すべて成長の糧となる。
  5、過酷な運命ほど、人間的な学びをもたらしてくれる。


 自分の運命を引き受け、学びを深め切り開いて生きたい。   多田野弘  」


 今日は嬉しい便りが4通来た。
 1通は、この多田野さんからの手紙で、
 2通目は、くろちゃんから「ぜひ読んで」と致知が届いた。
  私がめげているのではないかと、励ましの月刊誌だ。ありがたい。
 3通目は、弘子さんの全国朗読コンクールに出た時のDVD。決勝に進んだ16人。なかなか
  りっぱ。楽しみながら、ゆっくり聞きましょう・・・
 4通目は、しのだ先生からの年賀状。「生存証明のお知らせまで。」とあいかわらずの
 ユーモア。元気そうでよかった・・・


 明日は、かずくんのバレエ・リハーサル。朝早く出かけます。

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