小夜曲~本と日々の暮らし

私に・・・あったこと、思ったこと、これからのこと。

15 V.E.フランクル「それでも人生にイエスと言う」& パン焼き機

『夜と霧』を昔読んだ。
ーどんな人生にも意味があるーと。
「人間は、あらゆることにもかかわらず
 ーー 困窮を死にもかかわらず、
 身体的心理的な病気の苦悩にもかかわらず、
 また強制収容所の運命の下にあったとしても ーー
 人生にイエスと言うことができるのです。」



 17年ほど前、サンフランシスコで、顔を10針縫う怪我をしたことがあった。
 その時に、学んだことが3つあった。


① 怪我をする前夜、ホテルの姿見の前にある椅子が気になった。
 しかし、そのままにした。
 わたしは確かに「邪魔だなぁ、どけようかな・・」と思ったのだ。
 それが、天の神様からのメッセージだった。
 それ以後、ふと思ったことは、すぐやる。
 「この店いやだな」入らない。「この場所、へん」すぐに移動する。
 「ガソリン入れたほうがいいな」すぐいれる。「電話しようかな」すぐする。


② グサッと、椅子に顔が突き刺さった。
 朝寝ぼけていて、ベッドから降りて歩いた時、スーツケースにけつまづき、
 前夜、椅子のひじ掛けの角が、
 左目の目頭と眉間の間に食い込んだ。
 痛くはない。
 なにかが流れだした。
 洗面所で顔を見た。血だらけ!
 その瞬間 「あぁ、私でよかった。私はこの顔で生きていく」と決めた。
  俳優志望の人たちを20人、研修で連れて行っていた。


  「ほかの子でなくてよかった!」と思い、
  「この顔で生きていく」と決意したため、
  私の顔は、傷が全く分からないほど治っている。 
  
③ フランクルの著書の中で、
「収容所で、苦しくなったら、わたしはいつも、この、まさに、
 今体験していることを、大勢の聴衆の前で語っている自分を想像した。」
 と書いている。
 チャイナタウンで「ひどい傷だ」と呟かれながら、
 縫合の手術を受けているとき、
 このくだりを思い出し、
 「いつか、この体験を講演ではなすのだ。」と、考えていた。
 そして、その通り、何度も講演で話をした。
 「いつか、笑ってみんなに話するんだ」と決めたら、
  気分が変わることを知った。


 ★アパートの引っ越しで、
  ほぼ新品のパン焼き機をもらってくれる人はいなかった。
  捨てるには忍びず、家に持ち帰った。
  ふと「焼いてみようかな」
  3回目、葡萄パンがふっくら焼けた。
  パンを焼くという、新たな楽しみができた。
  人生はわからないものだ。
  家族に好評。
  チーズパン、クルミパン、チョコパン、ちょっと楽しみ。(^0^)V

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