139永井隆「いとし子よ」& 太一、サッカーのボールが当たる
*原爆投下の長崎で医師として人々を治療し、
自らも被爆した永井先生の著書。
「私はよい父であったろうか、母を亡くし、やがて父を失って
孤児となろうこの子らに、生活の支えとして何を与えたであろうか」
と反省され、
この本の書き出しはこうである。
「わがいとし子よ
“なんじの近きものを己のごとく愛すべし”
そなたたちに遺す私の言葉は、この句をもって始めたい。
そして恐らく終わりもこの句をもって結ばれ、
ついにはすべてがこの句にふくまれることになるであろう」
この一文をもって、いかにこの本が、魂の深い、心からのものであることが
わかる。
★12月29日、いよいよあと2日になりました。
娘を休ませ、昼間寝させるために、今日も行ってきました。
太一とかずくんが野球とサッカーをするのに、私がついていきました。
いっちゃんと元気くんがいたので、わたしはいなくてもよくなり、公園から帰宅。
娘を上で寝かせ、下の部屋で美和ちゃんと遊びました。
本を読んだり、音楽を聴いたり、中でも、一番のお気に入りが“ピアノ”。
椅子に座らせると、しゃんとすわって、小さなおててでピアノを弾きます。
なんだか、素敵な音楽に聞こえてくるのです。
私の手を取り、弾けと促します。
ちょっと弾くと、嬉しそうに笑います。
美和ちゃん、もうちょっと大きくなったらピアノ習いに行こうね。
よき先生と出会いますように・・・・
「ママ、ばぁば、どっちでもいいので早く来て!太一がサッカーのボールが当たって
倒れて泣いてる!」
とかずくんが飛び込んできました!「え、え、え」
(かずくん、えらいよ、一人で走って知らせに帰ってきたんだね。立派な5才)
車で公園へ行くと、確かに太一が広場の真ん中で倒れている。
(誰も気にしない・・・)
「太一、大丈夫?」と駆け寄った時、いっちゃんが来た。
「ママが、おまけで12時40分まで遊んでいいって。あれ、太一どうしたの?」
倒れていた太一は、急に立ち上がり、いっちゃんと再びサッカーを始めたのでした。
う~~~ん、子供って、面白い。
いや、大人でも、こういうことってありますよね。
人間は気持ちがころころかわり、からだもころころ変わるのです。
~~~気持ちをいつも常にしておくことが修行ですね~~~まだまだです・・・
新年の準備は、
小松菜とゆずを買えたので、四角いお餅の東京風のお雑煮はこれでOK。
京風の白味噌、こいも、大根、鰹節はOK。丸餅は残念だが、ま、いいか。
表の道路の枯葉の掃除をさっきしました。
あと年賀状書きと障子の張替え。年内にできるのかなぁ・・・?
ま、仕方ありません。娘が元気になってくれることが一番大事ですから。
明日もサポートに行きます。
午後7時前に、鈴木さんが来てくれて、お風呂の栓と、シャワーを直してくれました。
仕事のできるいい人と出会えたと喜んでいます。
餅は餅屋ですね。