小夜曲~本と日々の暮らし

私に・・・あったこと、思ったこと、これからのこと。

120神原康弥「ぼくはエネルギー体です」& 多田野語録2012

からだの生涯を持って生まれた人を、
わたしたちは気の毒と思っていないか。
ひとり食事をする人をかわいそうと思っていないか。
気の毒に・・・
かわいそうに・・・
本当にそうなのか。
その人の心の内はわからない。
この本を読むと、人の心の内は計り知れないし、
推し量ってはいけないことを教えられる。
人はみな
自分の人生を歩いているのだ。
わたしも私の人生を歩こう。
おそらく勝手な同情したり、怒ったりしながら、凡夫のままで・・・

★2012 多田野弘語録「苦難に勝る教師なし」(2020年12月のことば)
 「 この課題は、苦難こそが人間の成長進歩をもたらす、最良の教師だという意味で
  ある。昔から「艱難汝を玉にす」「若い時の苦労は買うてもせよ」「かわいい子には旅
  させよ」などといわれる。
  オーストリアの動物行動学者、コンラッド・ロレンツは「幼い時に困難に遭わなかった
  人は不幸せである」、
  デンマークの哲学者、キエルケ・ゴールは「飼いならされた野鴨になるな」と述べてい
  る。ライオンは生まれた仔を谷底に突き落とし、這い上がってきたものしか育てないと
  いう。百獣の王たる所以である。


   かつて私が遭遇した苦難は、徴兵適齢期1年前、海軍へ志願したことに始まる。
  戦前、男子には兵役の義務が、陸軍は2年、海軍は3年あったが、1年で済む航空機整備
  員養成の制度が海軍につくられた。苦難が予想されている兵役の義務が、僅か1年で
  済むことに魅かれて、早く済ませて実務で力を発揮したいと考えて志願した。
  昭和14年10月、横須賀航空隊に入隊となった。


   案の定、伝統の殴って鍛える訓練は、予想を超えた理不尽な別世界だった。
  通常、3年かける訓練を1年で済ますのだから当然である。毎日のように、「気合が入っ
  ていない、たるんどる」といって、鉄拳の制裁が日常茶飯事になっていた。
  親にも叩かれたことがない私には脅威の毎日であった。こうした屈辱的な体験は、軍隊
  経験者なら皆持っているが、思い出したくないので話さないだけである。


   海軍における厳しい訓練の1年間は、私を見違える程の逞しい若者に変えてくれた。
  不屈の精神と頑健な身体は、苦難のもらたした結実であると誇らしく思った。
  この「苦難を通して得る」の境地は、私の一生をつくる原動力になった。私は、苦難の
  考えが一変し、行動も変わっていった。


   続いて日米戦争が勃発し、戦争に従事する一員に加えられたが、ここでも敢えて苦難
  の道を選んでいた。上司に、南方の最前線の部隊に転属を申し出た。
  当時、戦地を希望する者が誰もいない中、敢えてかってでた。
  昭和18年7月、最前線の激戦地ラバウルに赴任した。戦場は死闘の毎日であった。


   大きな苦難に再び襲われた。19年1月、戦線縮小のため我が部隊はサイパンに移
  動することになった。二隻の貨物船でラバウルを出港した2日目、私が乗った船に
  魚雷が的中した。轟音と共に私は甲板に叩きつけられた。どこも傷がないのを瞬時に
  確かめ、二発目の魚雷と、船が沈むときの渦を予測し、海に飛び込んだ。太平洋の山
  のようなうねりの海に一人浮いていたが、少しも悔いはなかった。行くも死、留まるも
  死だった。


   体力を消耗せぬよう海に浮かびながら、これからどうなるかが頭の中を駆け巡った。
  いくら体力を温存していても、半日もすれば力尽きて溺死するのは間違いない。そのよ
  うな死でも戦死と言えるだろうか、などと考えを巡らせていた。
  ラバウルでは、弾に当たって一発で死ねるが、海に漂う身は、いつ最後が来るかを、
  じっと待つ苦しみを味わうことになった。それが如何に苦しくても選んだ道である、
  運を天に任せようと腹に決めた。途端に死の恐怖は消えた。ふと見ると、いつの間に
  来たのか味方の駆逐艦が、カッターを降ろしている。溺死の心配が消え、勇んでカッタ
  -に向かって泳いでいった。「捨てなければ得られない」のはこのことだった。


   3年の間に5か所の戦場を駆け巡り、かず知れぬほど死ぬ目に遭ったが生きていた。
  生かされていたのである。死の苦しみを舐めたからこそ、生きていることの素晴らしさ
  を知ることができた。以来、自分の身に起こる出来事は、たとえ嫌なことでも、すべて
  必要だから与えられたのだと受け取れるようになっていた。
  このような心境を得て生還できた私は、何という果報者かと心から感謝せずにはいられ
  なかった。南の果てで果敢に散った戦友のためにも、生かされた命を無駄にしないと
  誓った。


   この苦しみや悲しみを経験したことが、戦後の生き方にも影響した。安易に流される
  のを畏れ、常に困難な課題を自分に課した。しかし、それらはすべて喜びに代わり、
  困難が大きいほど喜びが大きかった。何故なら、苦しみが、自らの成長進歩をもらたす
  のを自覚できたこと。さらに、苦難を乗り越えることが、自分を統御・支配できる自信
  となるからである。
  身をもって「苦難が自分の人生をつくる」真髄を実感している。」㈱タダノ創業者

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