小夜曲~本と日々の暮らし

私に・・・あったこと、思ったこと、これからのこと。

556村山リウ「源氏物語」&メールが来た

10年以上前に聞いたテープを今もう一度聞きなおしている。
村山源氏は大変有名で、聞いていてわくわくする。
全部聞くと何十時間かかる。ゆっくり聞こう。

★晴れ
 
 昼間は18℃と言っていたけど、そんなに暑くなかった。
 夕方からは風も冷たく、まだ春浅い。
 
 サンクトのセルゲイ先生とマリーナ先生から
 メールの返事が来たのでほっとした。
 ニコライ先生のメールアドレスがわからなくて、
 杉さんにメール。
 杉さんから電話が来た。
 「今日ね大学にメール出したのよ。
 ニコライ先生に届くかどうかわからないけど、 
 マリーナ先生に伝言頼もうと思っている」
 杉さんは1991年ソビエトが崩壊したその年にもう留学していた人。
 私が出会ったのは、1993年の12月末。
 1994年にエジンバラに出て、ペルミから招待され、
 1995年に国際交流基金から助成金が出ることが決まり、
 ペルミに連絡がつかず、
 乙部さんはモスクワの日本大使館から連絡してもらうように頼み、
 私は杉さんに頼んで、サンクトで上演させてもらえる劇場を
探した貰ったのだ。
 サンクトでは劇場が見つかり、
 モスクワは日本大使館が主催でステージが決まり、
 ほっとしたら、ペルミから国際演劇祭への正式な招待状が届いた。
 当初はペルミでも上演だけの予定だったのが
 サンクトとモスクワでも上演できることになった・・・
 今思えば、とっても不思議な出来事だった。
 1995年は1月17日に阪神淡路大震災があり、
 4月にはサリンがあり、行の飛行機ではオウムの日本人信者が乗っていた。
 作品は「女殺し油の地獄」地獄=ヘルということばが
 オウムを思わせたので、題名は日本語のままにした。
 当時、ロシア側もオウムの被害に遭っている人が多く、
 地獄ということば=オウムと思われた。
 この1995年のサンクトでの公演がきっかけとなり、
 1996年からつい最近まで演劇大学で日本伝統文化を教えることになった。
 
 今回のことを杉さんと話をすると、彼はまた少し違った見方をしていた。
 ロシアの人たちの魂に触れてきた私は、ロシアを憎む気にはならない。
 心ある人たちはショックを受けているのだ。
 サンクトの中で戦争反対の運動は高まり続けるだろう。
 
 エカテリンブルグのマリーナ先生とはまだ連絡できていない。
 メールアドレスが違うのかな・・・
 通訳のマラト君にもメールしたが・・・
 
 どう解決していくのだろう・・・
 わたしは歴史を知らなさすぎる・・・・


清らかな白いマーガレット・・・

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